今年は家族が無くなって2年になる。
一周忌、三回忌までは大事な法事らしいが、中には行わない人もいる。
する事が当たり前の様に思っていたが、お坊さんのちょっとした発言によってその思いは変わった。
「最近ではしない人もいるから…」という言葉に「へぇ~しない人もいるんだぁ」と聞き流したが、ネットで検索したら結構そういう人がいた。
やらない人の理由もいろいろあり、どうしてもやらなければならないというものでもない。
お寺さんも今生きてる人の生活を第一に…と書いている。
しないかわりにお墓参りに行くと書いている人もいた。
それを読んでから「よし!」と迷いを断ち切った。
三回忌はやらないと…。
うちでは家族は自分ひとりになってしまった。
最後のお葬式の時は直ぐにお金の工面が出来ず、葬儀屋さんには全部終わって支払えるようになってからという異例のうちに行われた。
最初は困った顔をしていたが通帳などで払えるお金がある事がきちんと伝われば「困ったことがあったらいつでも…」と、細かい事までいろいろやってくれた。
お寺さんだけには用意を…という事で地方から送られた香典を使った。
近所の方々の参列者はあったが親戚は地方なので葬式自体は全てひとりで行った。
法事が終わってもお金を引き出す手続きなどで走り回り、悲しむ間もないほど忙しい毎日だった。
元々神社仏閣に手を合わせる習慣はないが、お供えは1日3回プラスで行っている。
お寺さんといっても、全く他人で家族のことも何も知らない人にこの時だけ来てもらう事にも疑問を感じていた。
感じながらも決まりごとだから…と行なってきたし、まぁこの日だけきちんとやっておけば…という気持ちもある。
しかし、それでは逆に意味のないものなのかもしれないとも思うわけだ。
三回忌をしなかったら、後々まで「しなかった」という思いは残るかもしれないがお墓参りの回数はふえると考える。
これまではお寺さん任せで、法事が終われば気にもとめない。
四天王寺まで遊びに行ってるのに、すぐ近くにあるお骨を収めている場所にも寄らない。
寄らないどころかそこに家族が眠っているということも忘れている。
「しなかった」という心残りが逆に毎年命日にはお墓参りに行き、お盆お彼岸にも出向くようになり、そういう習慣がついてくると時に何もない日でも近くに行ったら立ち寄るという今まで以上に身近なものになると考える。
もちろん金銭的な面もあるが物理的なものは何とかなる。
ただ漠然とお寺さんの顔色を伺いながら世間体を気にして行うことに疑問を感じている。
親戚も遠く、ほかに家族も居ないし世間体も気にせず全て自分の判断で行えるという立場なので出来ることでもある。
そういう意味合いで三回忌は行わないことにした。
今後は、お寺さんに支払う分で特別な日はケチらず豪勢に飾りつけをしてみようと思う。
この事に対するご意見はあると思いますが、一年間ずっと考え続けた結果の答えで、決して思いつきの安易な考えではありません。
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